この想いを 

言葉も行為も柔らかい方だった
言葉も行為も柔らかい方だった

11月の寒さを覚える晩秋の時、岩沼チャペルの礼拝の場に中野正義牧師を招いて礼拝を捧げた。

 

中野牧師は生まれも育ちも東北で、赴任する仙台の教会は自立する前の伝道所として活動している時から関わっていた。東日本大震災の影響でその教会は大規模半壊となり、その教会を再建するという経験を経て今に至る。

山形南部教会や塩釜ともしびチャペルとは、東北ケズィックなどの超教派の場でおあいする機会が与えられていた。

 

その口からは主の愛をただの言葉として会衆に伝えるのではなく、語るその時にその場にいる一人ひとりに対して、「あなたにこの想いを伝えたい」、そのような気概が感じられるかのようなやさしい説教だった。

 

その説教は、主の愛について語られた。ヨハネによる福音21章:15~19節、イエスがペテロに「わたしを愛するか」と三度尋ねる箇所が引用された。イエスがこう話された出来事のしばらく前に、ペテロは危害が加えられるのを恐れて彼のことを三度も知らないと宣言した。

 

「わたしは死を恐れない」と言い切ったのにもかかわらず。そのような行いは相手を落胆させ、失望させるのに足る行いであり、例え誰かが仕方がなかったと慰めたとしても、自分自身を許すことができないだろう。

 

そのようなペテロに対し、イエスは彼が三度知らないと言ったのと同じように、三度「私を愛するか」と尋ねた。その問答の中で、イエスはペテロの心に刺さった刺を抜き、その傷を癒してくださった。

赦されるはずがないと、一生心に影を落とすような行いすらもまるでなかったかのように。

 

人の心を雪よりも白くすることの恵みや素晴らしさやどれほどあり得ない出来事であるのかを中野牧師は何度も何度も繰り返された。表現としては適切ではないかもしれないが、こどもが親に自分の話を聞いて聞いてと訴えるような程にその御言葉の感動を伝えてくださった。その姿は牧師というよりも教会で集う兄弟姉妹の様な親密さを覚えた。日々や週ごとの恵みを各々のグループの内で分かち合っているかのような感覚だった。

 

その姿に、イエスは弟子たちに対してどれほど近しい者だったのか、弟子を友と呼ぶ方の接し方は如何様なものだったのか、そのような問いが思い浮かんだ。僕は誰を友と呼び合えるだろうか。

そう思って自分自身を省みると、幼い子どもや動物に対しては純粋にそう呼べるような想いがあるような気がした。

 

12月に入り、クリスマスを迎える。同時に日本の暦では師走と呼ばれる忙しい時に入っている。だが、死ぬために世に来られた方の恵みは、忙しさにかまけず覚えていかなければならない。代価を支払えないほどの他にはない恵みなのだから。

 

礼拝とは想いの犠牲を捧げること。さて、自分はその想いをどう捧げよう。その感謝や喜びが年を跨いでも内にあるように。