今年の夏ごろから産直「朝どり」の場で『交流サロン』を開こうという話が挙がっていた。『交流サロン』というのは、来年度の介護制度の変更に先駆けて地域で年配者の集まる場所を増やしていこうという、岩沼市の事業のことである。
事業開始にあたっては、岩沼市から立ち上げの支援が受けられ、さらには「市の事業で動いている」という大義名分を得ることになる。この秋に協力者や活動内容の具体的な計画が固まり、実現に向けて申請をしていたのが、遂に11月から毎月第2,4火曜日を基本的な活動日として動き始めることになったのである。
そもそものきっかけは、『交流サロン』という行政の事業を知る前からあった。そのきっかけは亘理の浜吉田駅の近くに住んでいる方の言葉だった。その方は、生まれは九州だが、夫の転勤の中で全国を移動し、その最終地点として亘理の地を選び、そこで震災に遭った。
車で亘理から仙台方面に向かう道すがら、たびたび見かける「朝どり」の看板と深緑色のデッキに興味を持っていたが、ついにある日「朝どり」に始めて立ち寄ってみると、岡崎さん夫妻が温かく迎え入れてくれたのであった
思いがけないその温かが嬉しく継続してそこに通うようになり、そして、その交わり中で震災時の経験を何度か聞くなかで、無条件に温かく受け入れられたことがどれだけ嬉いことなのを知ったのである。
震災時、避難先の体育館で「“よそ者だから”と入れてもらえなかった」と幾度も口にされ、その時に受けた衝撃を教えてくださった。誰も拒まれることのない「朝どり」の場に惹かれ、自分の様にその場で癒される人が出るように、と『交流サロン』という事業に繋がる発想を語ってくださった。
その考えに岡崎夫妻を含め多くの方々が賛同し、なるべくして今に至る。
交流サロンの協力者と話していると、「朝どり」には多くの繋がりがあると改めて思い知らされた。体操をしたいといえば、あの人なら資格を持っているとなり、パン作りをしてみたいとなれば、料理教室を開いている人がいるからお願いしてみるとなる。
そのように至る理由として、その場に集う人が多いから誰かが何かを担える状況にあるのではなく、僕としてはタラントの使い方がうまいのだと感じる。誰もが自分の分をそのまま土に埋めようともせず、銀行に貸すだけで得られる利子を求めず、できることで多くの益を生もうと努めている。
誰もが協力し合いその場を盛り上げていくコミュニティとしての形は、教会の兄弟姉妹と呼び合う姿が思い起こされる。夢を描き、それに対して喜んで行動するならば、それは人の考えるものよりも素晴らしいものとなる。
実際、主はあり得ない事を全ての人に対して日々示し、また為しておられるのだから。
MSR+のボランティア活動が5年を目途で終わろうとしている中で、その後の自身の歩むべき道を考えていると、例え待ち受けるのが自分の全てを失う将来だとしても恐れはそこに無い。むしろ、持たない者の方が縛りつける枠がなく、とんでもない夢を描けるような想いさえある。
真っ白な世界に色を付けること、歌うこと、物語を作ること、小さな子供の頃によくやったこと、人にとって当たり前のこと、誰しもが持つ創作の業を楽しもう。