稲穂も色付き、秋を感じさせる景色の中で、9月の礼拝は捧げられた。その日は大友幸一(ゆきかず)牧師が訪れ、御言葉を語ってくださった。
塩釜在住の大友牧師は、震災直後から、被災者であるにもかかわらず多くのボランティアを受け入れた。ボランティアの到着が深夜になることが何度もあったという。教会に隣接するボランティアの宿泊場を設け、遠方や海外から訪れる方々を現在もなお受け入れている。宮城宣教ネットワークやケズィックの運営等の責任も持ち、広く深く宮城で働いておられる方である。
その口から語られる言葉は激しく、心を熱くさせる。しかし、分かりやすうい内容と言葉で、求道者でも理性的に理解できるものであった。
コリント信徒への手紙二4章16節~5章1節より「勇気を失いません」と説教を語ってくださった。「勇気を失いません」とは新改訳で使われている言葉で、新共同訳では「落胆しません」とある。そちらの方が分かりやすいから、と言葉を選んだ理由をおっしゃっていた。津波という災害で与えられた実体験を通して、そのことを説いてくださった。
大友牧師は農家の出で、耕作地は宮城県の沿岸部にあった。その地は津波に襲われ、水が引いてから戻った時には色が奪われていた。そのモノクロームの地で、家屋の片付けをしている時に、その大地から花が咲いていたのを目にした。そのことに言い尽くせない想いを感じたという。それを聞いた際に、「主は生きておられる」という言葉の真意を教えられたような気がした。どんな暗闇であっても、光が消えることはない、と。
コリントへ手紙を書いたパウロは、投獄され、時には命を狙われてきたが、彼はそれを「一時の軽い艱難」と表した。大友牧師は、パウロの境遇と比較して自身の体験を大したことはない、より軽い艱難だと言い切った。
被災地で働く者として、大友牧師の被害は一般的に見て軽いと言うことはできないが、そのように心からおっしゃっていた。何故、苦難の中にあり勇気を失わないのか、落胆することがないのか。それは神が共に居てくださるからだ。人がそのことを忘れ、例え離れていようと、その方はまどろむことも眠ることもなく、全ての者を常に等しく見守り、共に居てくださる。ただ、その方に信頼を置けばよい。そうすれば、暗い心に再び光が満ちる。しかし、その光を見出す者は少ない。
見えるものが手に負えず、見えないものに心を注ぐ、そのことは僕自身もMSR+の活動の中で感じてきた。手元に物や手段があると、心から主に求めることを怠ってしまう。それは主に光をかすませる別の光源のようだ。
真実の光を見出すにはそれらを全て取り去った方が良く見える。何もないところから始まった活動には、主の光しかなく、そこに持たざる者の幸いがあった。その道には失望が無く、語る夢がその地で形となっていく。
その恵みに感謝することしかできない。その想いを忘れてはならない。
大友牧師の説教はラジオで流される時がある。TWRという海外の組織が日本で福音放送の働きを為してくださっているからだ。ラジオを通して福音が語られるように、と被災地の放送局で流され始めている。
岩沼は今年度から放送が始まり、9月の頭にその放送のポストカードを集団移転先や市街の住宅地に配る活動が行われた。続く10月には亘理で、と仙台を中心に始まった活動が南の方でも広がってきている。インターネットでラジオ放送が聴けると知ってからは、たびたび聞くようになった。短い時間だが、自宅で説教や賛美に触れることができて嬉しく、暖かく感じた。
福音が被災地で響くことを心から願う。