十字架  岩沼からの手紙8月号

山形南部教会の岡先生と十字架
山形南部教会の岡先生と十字架

MSR+で利用している拠点を教会とするために、足りない物事を皆で考えて工面している。室内の間取りやら、机や椅子やら、と。

 

その中のひとつに十字架の製作が挙がった。より教会らしくなるために、地域に対して十字架を掲げるために、塩釜ともしびチャペルの村島先生を中心に製作が行われた。

 

作業日までに何度か村島先生が構想を語ってくだったのだが、素人には具体的なイメージが湧かず、全てを村島先生に委ねて当日の作業に挑んだ。

 

材料は、背の丈ほどある二本の立派な角材、十字架を立てる支柱とする鉄パイプ、土台となるブロックやセメントなど、積むと車内が窮屈になるような材料が揃えられて作業が始まった。


二本な角材の長さを整え、角材の交点となる部分をノミで削り、その面を合わせてハンマーで叩き、はめ込んだらネジで固定する。そうしてできた十字架の根元部分に、下から穴を開けて鉄のポールに刺し、それを動かないように固定する。言葉に並べると単純なことだがが、現場では思った通りにうまくいかず、試行錯誤しながらこなしていく。


 その甲斐あって、順調とは言い難いが、立派な十字架を完成させることができたことができた。掲げるには土台の強度が足らず、次週にもう一度作業を行ってようやく納得のいくものとなった。その十字架は、7月下旬から掲げられている。

 

 『田舎で十字架を掲げるということは覚悟のいることだ』と、震災後に活躍する方々の話からそう感じている。

ボランティアという面は受け入れられてきても、教会という立場で似たようなことをすると、それは多くの場合で受け入れられないという経験談を幾つか聞いた。教会やキリスト教という宗教を思わせる事柄が遠慮されるのだ。でも、そのような場所に継続して足を運んでくれるなら、その方に対して福音を語ることが許される。それは大きな歩みとなる。

 

場合によっては、地域の人から『牧師であることを隠すな』と教会として動くことに発破をかけられた方もいる。宗教という敬遠されるものでも、良い関係を築けていれば、それは受け入れられる。人間関係というものをつくづく考えさせられる。

十字架を立ててから家主の方と会い、そんなことを話すと「そんなに目立つものでもないから大丈夫じゃないの?」とおっしゃった。立てた側も似たようなことを感じてはいたのだが、(隠す気があったわけではなくても)結果として主張の弱いものとなってしまったということか。

 


この十字架が地域にどのように受け止められるのだろうか。

場合によっては、十字架を下ろすようなことを言われるかもしれない。地域と共に歩む教会を目指すのだから、そんな反応もしっかりと受け止めていきたい。

この十字架がこの地でどのように用いられるのか、不安と同時に期待が込み上がる。