教会開拓ということを前提にした礼拝を、6月14日の午後に初めて持つ機会が与えられた。
その周知のために、新聞折り込みでトラクトをおよそ1万2千枚強配布し、その反応を期待した。
当日までの期間で、その集会に興味を持って参加したいという方の連絡が入ったが、当日は都合が悪くなったようで、またの機会に、と言葉を聞くだけで終わってしまった。そのようなスタートとなってしまったが、その礼拝の場に説教者として招かれた田中時雄牧師の語る言葉には、励みと継続の力を得るのに十分なほどの感動があった。
田中時雄牧師は、三浦綾子という作家を綴ったトラクトで教会へと導かれ、開拓を始めた熱心な牧師から離されない信仰生活を送り、献身して生まれ故郷の北海道から宮城へと遣わされた。導かれた地での開拓生活の中で父が救われ、母が救われ、そして妹が救われ、と主に従ったことによる救いの恵みを経験された。そして、その教会にて被災した。
説教は、津波から始まった苦労を実体験から語ってくださった。これまでしたことのない苦労や痛みを覚え、その辛さに涙を流したこともあった。だが、試練の中にあったからこそ見出すことのできた主の恵みが確かに存在し、その恵みを礼拝の場で分かち合った。また、これまでの経験から、新聞折り込みで配られたトラクトは、数千枚でようやく一人その場に来てくれる程度の反応しか返ってこないが、50~100人に一人は必ず目を皿の様にしてそれを読み、いつの日かそれが用いられると、岩沼チャペルのこれまでの働きとこれからの実り関する展開を語られた。
確かに、主は主のための労苦の全て覚えてくださり、その労苦に必ず報いてくださる方である。人には主の御心を聞き求め、そのために奉仕することしかできない。それによる恵みも苦難も全てが主の御手によるものであり、主に頼る道に誤りはありえない。主と共に歩むことの希望を改めて教えられた。
愛を持ち、祈り、岩沼で為される主の業が何であるのか、ただ楽しみに待ち望む。これまでがそうであったように、これからも。