1月の中旬、東日本宣教ネットワーク(震災を機に創設された被災地のキリスト教連絡会)の全体会ミーティングに参加した。
このような全体会は四半期ごとに持たれていて、今回は4周年を迎えるのが近いということで、追悼の礼拝とこれまでの震災から学んだ取り組みからの発表が行われた。その発表者に立てられたふたりの人ともが、「地域における教会のネットワークの重要性」を語っていた。
初めに話された方は、仙台から南三陸まで通いながらボランティアを行っている牧師の方で、「宣証」という理念で地域に入り活動を継続している。「宣証」とは、生活を通しての証であり、聖書に従った生き方からキリストのかおりを発することを目指すことだ。「宣証」を一致して行おうと「良き業・宣証共同体プロジェクト21」に携わり、その行為を具体化している。
彼は真摯に人と向き合い関わっていく中で、「宣証」の行きつく先は、風土や伝統を含めたその地域全体と向き合うことをなるのだと経験した。生活を通しての証は、教会は地域と協働・協助するなかでなされていく。だから教会は、郷土の中に共同体の一部として受け入れられる必要があるのだ。このことをこれからの目標としていた。
また、教会と教会に属する者は、地域よりも教会の内部に重きを置くあまりに、地域から隔離されて孤立感を味わうことがある。そうならないように教会は地域に協働・協助し、教会に属する者はクリスチャンとして社会貢献に励むことが地域に属して生きていくことだと語っていた。その地域に属するという行為は、「個」で行えるものではなく、その地域に属するクリスチャン同士が集い、励まし合い、支え合っていかなければならないと、自身の被災地での活動に疲れ、折れかけた経験を通して教えられたことを最後に語られた。
地方の教会は分散し、「個」に近い状態で活動している所が多く、この言葉の意味することは深く重要だと思った。「個」の状態では、苦難の際に支える者や起こしてくれる者がいないが、2・3人で集うならば、主はその共同体の中におられるのだから。
次に話された方は、クラッシュジャパンという団体の中で活動し、被災地で多くの気付きを与えられた。それを日本の宣教として日本の教会に発信している。
災害時にあるべき教会の姿として、地元教会は互いの状況を把握し合い、外部からのボランティア等を受け入れられるように地域ネットワークを築くべきであると語られた。そうでなければ、本当に必要な場所に人や物が流れていかず、何かをしようとしても何もできなくなってしまう。そして、外部の教会からはクリスチャンとしてボランティアを派遣すべきであるという教会の為すべき役割や教団で災害用の基金を備えておくべきであるという教会の備えについても語られた。
話の内容ひとつひとつに興味を抱いたが、特に次のような子どもの話題が心に残った。
震災ボランティアのひとつとして子どもの精神ケアを行ったが、その活動の基盤が教会に無かったことを危惧していた。世界的に、教会で子ども支援を行うと、その地域に属する子どもに対する支援として行うことができるのだが、日本の教会には子どもが集まらないため、その地域で精神ケアをしようにも、まずはその関係作りから始めなければならず、その支援の目的達成は難しい。
また、このことは日本の「教会」という共同体の将来を不安にさせる。
イエス・キリストを受け入れてクリスチャンになる人の多くは、4歳~14歳の間にそれを決心しているという統計データがある。その時期というのは人格や世界観を築く時であり、その時期に福音が伝えられるということが重要であるとして「4/14の窓」(フォーフォーティーンウィンドウ)という活動が起こされている。
しかし、日本ではその年頃に聞く話の多くは福音的なものはなく、信仰の道に入る様な基盤が作られる社会体制ではない。アメリカでは、平均して年7度は説教やメッセージを聞く機会があり、聖書の教え自体は既に知っている人が多い。そのため、ビリー・グラハムといった力強く心に訴えかける者がいれば、心をすぐ主に向けることができるようだ。
逆に、日本は江戸から戦後までの思想が残っており、キリスト教が排他的なものとして受け入れられている地域もある。また、墓や先祖を守るということで改宗を許さないという家もある。そのように育まれた土壌では、伝道のスタートはゼロではなくマイナスからのスタートとなる。地方では特にこのような傾向が強く、ハードルはより高い。災害時の課題と現在教会が抱える課題は、根本で繋がっていたのだ。これは伝道という観点だけでなく、緊急時にその地域に何ができるかという観点でも、教会は地域に対して働きかけていかなければならない、と考えさせられることだった。
被災地で働く多くの者は働き手が少ないことを嘆いている。自分達の力だけでは本来願う目的が達成できない事が目に見えるからだ。大きなことを為すには、クリスチャン同士が手を取り合い、協力しなければならない。宣教とは個人や教会という単位での問題ではなく、地域という単位での問題として為されなければならない事なのだと気付かされた。
僕個人にできることは少ない。しかし、今いる地でクリスチャンの関係を築くには十分だ。
互いに手を伸ばして繋がりあい、岩沼という地域での伝道を共に考え、協力し合えるようになっていきたい。
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