・塩釜の「家の教会」
家の教会という働きを知っているだろうか。使徒の行いを見ると、家々へ集うことや家々のために祈る箇所が所々出てくる。それを受けて教会だけが福音を語る場となるのではなく、信徒の家々を福音が語られるような教会に準ずる場として用いる働きだ。
塩釜の他教派の教会でそのような活動に力を入れており、四世帯の家々で担われる方々が興されていた。そのうちの幾つかは沿岸部にあり、津波の被害を受けて内陸部に移転せざるを得なくなった。その中の一つでは、これまで農家として働いていた経験を生かし、移転先では貸し農園の働きを加えようと計画を建てていた。その働きに協賛する国内外の方々から多大な支援を受けて今年の四月にその建物が完成した。仮設や沿岸部から移転した方々に福音を語ろうと日々努めている。
先日、貸し農園の場に井戸を掘って欲しいと依頼を受けた。これは各地のボランティア活動の共有を目的とした場で自分達の働きを聞いたその信徒の教会の牧師から頼まれたことである。被災者であり、移転先で被災者のために活動するその方のために井戸を掘ることを享受し、了承の返事をした。今は9月に掘ろうと計画し、準備を進めている。
その貸し農園は、沿岸部に住んでいた農家の方が狭くとも再び土をいじれるように、そしてその場の交わりの中で伝道できるようにと願って用意された。前半部はこのコミュニティの場の理想がMSRの関わってきた朝どりの今の形のようで、MSRが支援できる面が幾つもある。そして、後半部は責任者である岡崎家に福音が伝えられるようにと願う祈りに似ているのかもしれない。MSRは農業分野という面で、他の多くのボランティア活動と重なる部分は少なかったが、その稀有な経験が互助できるようか関係が与えられた。各教会の活動が主によって与えられてものであると考えるのであれば、それは主によって個々に与えられる賜物である。「神のなさることは時にかない美しい」、この言葉通りの出来事であるとするならば、その賜物を用いてこの時に何を主が示してくださるのか楽しみに見ようと思う。
これまで宮城では教会同士が強く結び合う関係ではなかった。宮城に限らず、日本の教会は危機感を覚えても各々の内に留めてしまう傾向があるように感じる。まるで閉鎖的な農村であるかのように。震災後、宮城は教団教派等関係なく、互いの活動を励まし合い、支え会おうと努めている。以前はあり得なかったこの関係が震災を機に、それによってもたらされた伝道に対する危機感によって形となった。
人は危機に直面するとなりふり構わなくなる。伝道にもそれが言えるのだと思う。この関係は日本の福音を各地へ伝えるのに望ましい理想に近い姿なのだと個人的に感じた。
ふと思うことがあった。イエスは天に行く前に、ペトロに「わたしを愛しているか」と問を投げかけた。この問いはクリスチャンひとりひとりに日々問いかけられているのだと思う。そして、その問いにはどう返すのか。応えの内容によってはこう繋がるのだろう、「わたしの羊を飼いなさい」と。イエスの言葉に何をもって応えるのか、その想いが問われた。