7月となり夏も始まり、夏野菜の収穫の季節となった。畑を借りている人は、その収穫と畑の世話に追われて朝どり向かいの貸農園の楽農村に足を運ぶ回数が増えてきた。そのような季節に転勤で去らなければならない人が出た。そもそも、楽農村で畑を借りている人の多くは、仙台の街中から来る子持ちの転勤族の方ばかりで、今年度の4月にも仕事の都合で宮城から離れた方がいた。いずれの方も労力と愛情を注いだからか、引き継ぎするかのように職場の方にその畑を任せていた。なお、朝どりとしてはどちらの方に対しても盛大な送別会を開いて送り出していた。朝どりはそのような人達の子育てと関係作りの場として用いられる。
当初、元々あった産直を復興させようとしていたMSR+の目指していた「朝どり」は、現在、産直部分よりも人の集まるコミュニティの場として主に用いられるようになった。朝どりへ買い物に訪れると、誰しもお茶していきなさいと誘われる。
誘われるがままにお茶の時を持つと、その雑談をする中で、「こんなことをしたらどうか」という提案が挙がり、それをそのまま形としていこうとする。このような自由な想いを形としていった結果、人の集う様な場所へとなったのだと思う。
内容としては、専門学校で教えている人が料理教室を開いたり、海外に住んでいた人が英会話教室を開いたり、田植えを体験したりなどなど。最近では、日曜には毎週のようにイベントが入り、それに合わせて足を運ぶ人も多い。
岩沼沿岸部は被災地として住まう人は減っている。仮設に住まう人も、移動手段を持たない人が多く、沿岸部に訪れる人は少ない。そのような場に仙台から野菜を育てに人が訪れるというのは喜ぶべきことだと思う。しかも、その規模は徐々に拡大している。7/13には仙台で活躍するNPO法人「冒険遊び場」が岩沼で活動する場の一つとして畑の空いている区画を泥遊びの場として利用した。このような試みが機会ある毎に行われ、輪が広がっている。
2013年の冬が終わる頃、朝どりの建物が完成し、春に産直として動き出す際に、ボランティア活動の中で朝どりの場を「夢を語る場」としていこうという話をして、その場に岡崎夫妻を巻き込んだ。これは、山形南部教会で年明けに夢を語る会を開き、その一年で何をしたいかという各々の夢を語る、ということを朝どりの場でも試みたのだ。現実ばかり見て夢を語る機会の少ない現代日本で、各々の夢を表現し、形にする場所として用いられていると感じている。今後も被災地で夢を語れる場であり続けられるよう覚えて欲しい。