岩沼からの手紙 2014年6月 No2

田の横に建つボランティアセンター、田植え直前の様子
田の横に建つボランティアセンター、田植え直前の様子

町内会にEM配達関係で回覧板を回すようになってから会長宅へ足を運ぶことが多くなった。特に6月は回覧板の回りが遅く、確認しに何度も足を運ぶ度に家に招かれ、その好意に甘えて雑談の時を幾度も与えられた。

 

その中で会長宅の歩みと地域への想い、下野郷のしがらみといった地域の話を聞かせていただき、下野郷は他の部落よりも結束力が強いということを知った。

例えば、震災後に部落内で炊き出し、部落内の家々の屋根の修理や泥を被った畳剥がしを行ったのが下野郷だけだということである。米や肉や野菜を互いに出し合い、水を配達しに回るという困った時にこそ支え合う農村地域の互助の姿勢を教えられた。これは見習うべきところであると心から思う。ただ、同時に、農村地域だからこそある悪い関係も同時に聞かされた。

隣の家の様子を監視するように過ごす方や、部落内で幅を利かせようと町内会とたびたび衝突する方、昔の五人組制度があるかの如く、自分が損をしないよう隣人の行動を咎める様に動く方々がいるようだ。

震災時も例外ではなく、そういった人のひとりと震災後三日三晩口論したという。会長が震災で一番印象に残っているのが、地震や津波自体ではなく、それだというのがその酷さを表していた。 

部落外でも顔の知られている人がそうだというのも驚きだった。その方との軋轢のようなものは間接的な形でMSR+の活動でも起きた。

招かれたお茶の場の中で、下野郷に住む方のハウスが大雪の際に潰れ、それがそのままになっていたのをMSR+でどうにかできないかという話を会長から聞かされた。地域で活動できるとは願ってもなく、その話を受けて交渉に足を運んだところ、建て直す気が無くてこれまで放置してあったが、日々それを早めに片さねばと心にあるようだった。

会長の奥さんにも勧められ、こちらの申し出を受け入れたのだが、その日のうちに断りの言葉が届けられた。それは、ハウスが雪で壊れた際に、先に挙げた町内会と衝突した人にその片付けをお願いしており、そのことの断りを申し出たら機嫌を損ねてしまい、任せている田の耕作を拒否されるかもしれないと懸念した結果だった。まさに腫れ物を触れるかのような関係だと感じた。

 農村に入って生活するということは、その地域のしがらみを受け入れて生きていかなければならない。

区長宅の家紋、ゴルゴダの丘の三本の十字架だろう
区長宅の家紋、ゴルゴダの丘の三本の十字架だろう

この地ではかつて福音が語られた軌跡を家紋や幼い頃のクリスマスの思い出話から知り得た。それを一度絶えたと、あるいは種が撒かれたと考えるのか、それは信仰が問われるのだと思う。キリスト者として何を為すのか、無数にあるその答えを見出していこう。