3月を迎え、春が近付きつつあるのを感じつつも、今年は春を迎えた気分が若干弱く感じてしまう。毎年のように飛ばされそうな西風が吹き付けるのはいつものことで、田んぼを見ると水が張られる気配がないのはいつもと違うこと。
岩沼は今年に入ってからほ場整備事業が動き始め、沿岸部の多くの畑は土がめくられ、区画整理が為されている。沿岸部の田んぼで作付可能となる面積は例年と比べると大きく削られ、初夏から見えるだろう緑の絨毯は部分的なものになってしまう。
現在、岩沼市では沿岸部のほ場整備を機に、市全体で将来の農業がどう引き継がれていくのかという課題に目を向けている。農業を営む人は、多くが住む地域に自身の農地を持って営農をしている。気軽に状態を確認でき、手をかけられる場所に農地があるのが基本だと思う。
家を流された人々は、住まう土地がなくなり、市内の仮設住宅へと移ったが、それは農家としての土地を失ったに等しい。事実、津波の被害の規模の違う集落間で、震災後の営農再開に向ける意識は大きく異なっている。家を失った方々の多くは、営農が再開できるようになることよりも、土地を市や県に買い上げてもらうことを希望している。
産直「朝どり」は再開から一年を迎えた。動き始めると、元々朝どりに関わっていた方々が再び顔を出すようになった。
その人達が同時期に開いた市民農園「楽農村」で野菜を作るようになり、どんどん友達を誘って来てくれた。楽農村を利用する親に連れらた子達が来て遊び、その分だけ汚れて帰っていた。料理教室や英会話教室といったイベントが開かれるようになった。
いつの間にか産直として野菜を売る部分よりも、人と交われるコミュニティ部分が広くなっていた。新たに春を迎え、野菜を作ろうと楽農村に新たに参加する人が現れた。気付くと一年間で人の輪がより広がっていた。MSR+がボランティアで建てた建物は「朝どり」と「楽農村」の活動の場として大きく利用されている。そのこと何よりも嬉しい。
朝どりの話を聞いてその再開の手助けをしようと願った時、実は手元に何もなかった。けれども、MSR+の活動の中で夢を語り祈っていた。そして、支えてくれる方々が現れ、その夢が形となった。今思い返してみても、創造主の悪戯としか思えない展開だと思う。子が一所懸命思案している姿を温かく見守り、それを行動する際に支える親の様な姿を時折思い浮かべる。朝どりでの夢は今も語っている。ピザ窯を作ろう、加工場を作ろう、ヤギを飼おうなどなど。新たな一年はどう動いていくのか、それが楽しみで仕方ない。