MSR+(宮城南部復興支援ボランティア)の第5回目活動が終了いたしました。
毎回皆様がお祈りくださっていることを感謝しています。
また、震災義援金として献げられた献金のうち、半分は指定献先もしくは外部へ献金しました。そして残りの半分をもって、宮城南部復興支援ボランティア活動を行っております。
これまでの活動概要
第1回から第4回までに約500戸を超える家、敷地、周囲の側溝へのEMを散布しました。
【主な地域】 亘理町逢隈高屋、荒浜、吉田、長瀞、岩沼市早股
【ボランティアの参加者数】
第1回:10名 第2回:11名 第3回:33名 第4回:26名 第5回:25名
合計:延べ105名(部分参加を含む)
また、第2回から他教団の方々がMSR+の活動を知り、参加されるようになりました。
今回の参加メンバーは次の通りです。
日本フリーメソジスト教団三輪教会から 6名
アッセンブリー教団(東松島、八王子教会)から 4名
ウェスレアン・ホーリネス神学院 12名
MSR+現地スタッフ 3名 合計:25名
【トピックス】
MSR+第1回から第4回までは津波被害を受けたご家庭の庭、建物、特に床下、側溝などへのEM散布が主な活動でした。しかし、被災から半年が過ぎようとしている今、MSR+の活動をEM(有効微生物群)が本来持っている土壌改良に移行しようと考え、MSR+第5回の活動から農地への散布を始めました。
1日目(8/29)
前回から、センターのある岩沼市での活動になり、今回はセンターのある岩沼市下野郷下地区でのEM散布を行いました。 軽トラックに動噴(動力噴霧器)と500ℓのタンク、そしてホース(50mと100m)を積み込み、4名(運転手、噴霧する人、ホースが長いので捌く人2名)がチームになって噴霧します。
今購入した軽トラが1台、レンタルした軽トラが2台の計3台で活動しています。
そして、29日はフリーメソジスト教団とアッセンブリー教団の方々が中心になっての作業となりました。
【EM講演会の開催】
夕方、神学院のメンバー12名が加わり、夜の集会の準備を行いました。この集会は今後のMSR+の活動ほ方向性を決める重要な集まりです。
<塩害土壌とEMによる復興>と題して、三陸EM研究所の足利英紀さんが講演されました。
[水田]
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揚水、排水ポンプが津波で壊れ、順次修理が進んでいます。
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津波の被害を受けた地域の水路が破壊されました。津波が運んだ瓦礫や泥が側溝・水路を埋めたり、側溝・水路自体を壊したりし側溝・水路の瓦礫や泥の撤去も順次進んでいます。
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しかし、津波を受けた被災地で水が流れるようになるためには1~2年かかると言われています。そのために、水田に水を入れることができません。
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したがって今水田で何かを作ることができません。
[畑]
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畑に関しては農家の方々は自己責任で震災後作物を植え、繰り返し何が塩害にあった畑で育つのかを試しています。
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行政は大量の水を畑に流して塩分を薄めるように指導していますが、塩分が地面から20cm下に残っているようで、作物を植えてもある程度成長し20㎝よりも深く根が伸びると、作物の成長が止たり、実が落ちたり、葉の色が変わったり、明らかな塩害の症状がでてきます。
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それでもこの半年農家の方々はいろいろなことを試して植えています。
現在、津波の被害にあった農家の方々は作物を田畑で収穫することができないのです。
田んぼの瓦礫と雑草の撤去を農家の方々自身が行っています。それは農家の方々への生活援助として国が実施しています。
講演で足利さんは、簡単に言えば<EMで塩を作物にとって害ではなく益に変えることができる>ことを話されました。その結果、29日の集会で十数件から畑へのEM散布の希望がありました。
2日目(8/29)
この日は岩沼市下野郷下地区でのEM散布を午前行い、午後から畑への散布を行いました。
庭への散布は動噴での散布になって(最初のころは高圧洗浄機)圧倒的に時間が短縮されました。1戸の庭、側溝、床下は10分~30分程度(家の広さによって違います)です.。
しかし、畑は土にEMを浸透されるために撒く量が圧倒的に増えます。300坪(1反・約1a)の畑で約1時間半かかり、約200ℓ散布します。午後、十数件の畑を3台で必死に散布しました。
29日、30日と下野郷下の会長、地区長、副地区長の3名の方が復興組合の働きを休み、私たちに同行してくださいました。このハウスは30日の最後に3台で6棟を散布しました。
ここは津波が2Mに達したそうです。下野郷地区で一番被害の大きかった地区でした。
3日目(8/30)
朝、兵庫から来られていたフリーメソジスト教団の6名の方が帰られました。長野で途中もう一泊して帰られるそうです。遠方から来られて感謝しました。
この日の最初の作業は、前日できなかった畑を1ケ所を3台で散布し、亘理町吉田地区へ行きました。
途中、亘理町長瀞地区を通過しましたが、海に近い地区の復旧はまだ途上、否始まっていないともいえます。海岸近くには瓦礫が山のようになっています。道路周辺の家は住む人もなく震災当時のままです。
吉田駅の隣のコンビニに伺いました。このコンビニの店主の方の紹介で再度浜吉田駅周辺に散布しました。浜吉田駅は常磐線の駅ですが、今は電車が走っておりません。復旧の見通しはまだ立っておりませんが、浜吉田駅から従来の海岸に沿って線路を通すのか、もっと海から離すべきではと結論が出ていません。第1回の活動で訪れ、2か月が過ぎ、線路の雑草の背丈は2m近くになっていました。
昼を浜吉田駅の改札で食べさせていただきました。そ
して、午後はさらに南下して山元町の山下駅近くの阿部さん宅に向かいました。山元町での作業は今回が初めてです。宮城県の一番南で隣町は福島県になります。この時は記録を残すことができませんでした。
阿部さんは改革派の信徒で山元町に改革派の伝道所がありましたが、津波で壊れたために、自宅近くにある歯科医院の建物を購入し、今後のボランティア活動の拠点と教会堂に使用するとのことでした。ボランティア活動のために常駐者の2名雇用するとのことでした。世界中からたくさんの義援金がられてきたとのことでした。
4日目(9/1))
掃除して帰宅しますが、今後のために現地スタッフの岡先生、川上さんと小寺が残りました。
29日の集会には来られませんでしたが、29日にEMを散布しているのを見て、下野郷上地区の会長さんが興味を持ち、自分たちの地区でも散布してほしいと話しかけてきました。その時に連絡先を聞きましたが、同行していた下野郷下の会長に連絡していただき、1日午後MSR+の活動について説明することができるようになりました。
地区会長さんの最初の言葉は<どれだけできるのか>という言葉でした。どれだけEMを用意できるのかという意味であることを話しているうちに理解しました。 <無料>で<いくらでも>.と伝えました。それから、EMがどの程度の事が出来るのかについて質問を受けつつ説明しました。
農家の方々の本気度を知らされました。地区の全員から要望があればそれに対応できるのかと。
<時間はかかりますが対応できます>と答えました。
下記の左の畑は7月20日MSR+第3回の時にEMを試験的に散布した畑です
右の畑には大豆が植えてありました。その大豆が大きくなりましたが、実がならないと地区長さんが話していました。
そして、EMを散布した畑にようやく苗を植えようとして準備していました。夕方6時ころ、そして翌日の朝6時ころでした。復興組合から帰ってきて、そして行く前の時間に鍬を入れ、ビニールを敷いていました。
土壌の改良には時間がかかりますが、ここで葉物が成長し収穫ができたならば少し希望が見えてきます。3年間収穫ができないのではなく、今から準備して冬には白菜や葉物が収穫できるのですから。
ボランティアの活動を継続するために、今活動の内容が変更しつつあります。
EMを畑に散布することを農家の方々が求めるようになったら、つまりEMが塩害土壌の回復に役に立つことがわかったら、その時には大量のEMが必要となります。
それを用意するために今まではEMを気仙沼の足利さんまでもらいに行っていましたが、それでは間に合いません。それでEMの製造機の設置を検討しています。そのためには費用が掛かります。MSR+の働きとしては荷が重く、クラッシュジャパンが中心になり、ウェスレアン・ホーリネス教団、フリーメソジスト教団などと共同での働きに移行していくことも検討しております。
どうぞ、今後の宮城南部復興支援ボランティア活動のために、お祈りください。ご参加ください。ご支援ください。お願い申し上げます。
ウェスレアン・ホーリネス教団
宮城南部復興支援委員会
委員長 小寺 隆
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