参加者 一言
作業最終日の《8/24 水)の夜に感謝会が、岩沼センターで行われました。今回ボランティアに参加してくださった方の[感想」です。
H.N.
因縁深いものがあって参加させてもらった
まもなく73才になる
気仙沼にいる阿部かつえ兄とは同じ教会教会でいっしょに洗礼を受けた仲間
今回まわった地区、喜んで受け入れてくださっていることを感じて感謝
これが救いにつながることを祈っている。
50年ぶりに同級生の長岡君(山元町在住)と再会
彼も・・これから山元町に行くことがあればつながりができる
恵まれた
J.U.
他の班の人も思ったかも知れないが、町内の人たちのつながりがすごく強いなと思った
横浜、隣近所とのつながりはまったくない。隣や上にどんな人が住んでいるのか知らない
岡崎さん無しでは
日本で11年間外国で13年、ふるさとっていうのをもたずにきた
ふるさとっていう言葉の定義を求めてきた。コミュニティーなんだと分かった。
自分を受け入れてくれる人が近くにたくさんいる場所、自分にもこれからできたら・・・。
M.K.
2つのこと
ふと見たら花が咲いている。
マタイの6章、野の百合がどのように育つか見よ
今回花を見たときに、ここに花が咲いていること、この地域の人を神さまは見捨ててないなと思った
まあまあ一杯お茶を飲んでいきなよ!
前のところでいただいた
ここでも飲んでいきなよ、話したいこともあるしさ・・・
EM菌散布だけではないことを感じた
R.S.
暗いものを想像していた
精神的にもきついものを覚悟してきた
みんな明るかった
みんな呼んでウチで野菜を育ててもらうと言っていた
人間全体、命が強いんだなと思った。
葉は茶色くなっているけれど生きているものがある。
R.H.
俺も覚悟していた
疲れるなと
体力がある方ではなく疲れやすい
ずっと撒いてて、きつくなるときもある
みんなで聖書を読んだり歌ったりするのもそうだし、ありがとうと言ってくれたり
東京は狭くてコミュニケーションができない人もいる、無視されることもある
ここの人たちは、あいさつするとすごい笑顔で返してくれる。
オレはこういうところで生きていけるのが幸せなんだなと思った。
人の生活を良くして行くには大切なことだが、今日昨日見た人たちの笑顔がもっと増えたらいいなと思った
学べることが多かった、ここに参加した人の中にもおもしろい人、やさしい人がいて、帰りたいとは思わなかった。
帰りたくない。
機会があったらいろいろやっていきたい。
東北の復興を手助けしていきたい。
このメンバーでできたことを一生誇りにしていきたい
K.K.
はじめて4日間連続の休みを取った。
初めてい会う人・・実はストレス
でも今回参加して感謝だった。
この頃、わりと悶々としてイライラしていることが多かった
閖上を見に行ったとき、破壊のすごさに自分のちっぽけさを感じた。
こんなことで悶々としている場合ではないなと
K.K.
前回もここの事務所がないときに、和成さん行きませんか?
妻が行きましょうよ!
逃げようかとも思ったが、結果的に導かれてここにいること感謝
ここに来て感じたのは全てがつながり・・・
人ってつながりなんだな
いろんな支援っていうけれど、つながり、わたしたちも元気になる
たくましさを感じる一方、わたしたちの見えない苦しさと悲しさもあるんだろうなと感じざるを得なかった。
神さまの計画があるんだろうな・・・何でこんなことがと思ったが、現地の方々と交わるのも意味があることだし、これからのことに計画があるんだろうと感じた
みなさんとのつながりがとても感謝
M.T.
特に印象に残ったのが、快く笑顔で返してくれる。
東京では相手から無視されるのではと怖くてできないことがある
わざわざ差し入れを持ってきてくれる人もいて、やさしさなんだなと感じた
いままで人の温かさって感じたことがなかった
人間関係のトラブルで殺人があったり、
人の心の強さ、温かい心を持っているんだなとわかった。
近くの人にもしていきたい
人間の温かさというものを周りにも「自分の中にも」広げていきたい。
N.S.
TVなどで知ってはいたが、自分との認識の違いを確認できた
この事を通してすこしは理解ができたと思う
K.Y.
3回目、来るたびにいろんなことが進化して、想像を超える進化がある。
前回ホースが長くなった、取り回しが大変でくたくただった。
今回、ちゃんと角かどに人がいる、すごい!
頼もしいなと思った
ある時は自分が若手だったが、今回は楽させてもらった。
最初石巻に行ったら「どこどこ行ってください」1日かけてがれきを片づける
なんかむなしい、
次は気仙沼、知らない人たちと1日一生懸命やった、なんか満たされなかった
朝、賛美して、夜いっしょにご飯を食べて、
こういうつながりって大事なんだな、
すごい集まりだな
父が始めたアマチュア劇団40年間やっている
ただで公演、1年練習して2日間公演
お金がかかっていると要求するようになる
無償で・・・なかなか無いこと
ボランティアってに本質的なこと、人が欲していることと感じた
M.K.
新聞を見ては涙がこぼれ、映像を見ては神さまどうして!
阪神、弱い人が置き去りにされてしまう
子どもたちが我慢してため込んでしまう
絵を描くことが、吐き出すことになる
保育ボランティア行って!と言われて
意気込んでいたが、時期があわずできなかった
インターネットでボランティアネットを探し、ホテルの託児所とつながりができ、17箱送った
幼稚園で作業をやっていたら、牛乳パックの自動車をこれ持っていってと言ってくれた
閖上、ベビー布団が引っかかったまま
神さまの偉大さをみんなが気づいて、生きていかなければならないと感じた
一期一会、
うちわくばっていただいたが、子どもたちの声を聞きたい
N.H.
前回は亘理町ということを、今日まで勘違いしていた
前回からのつながりがあるからと思っていたら、そうではなかった。
岡崎さん、人のやさしさに気づいたと言われた
今回初めてなのにこんなに・・・
兄がトラックの運転手
何回も何回も被災地に来ていて、悲惨な状況を見ている。「お前、なにをしにいくんだ」と言われた。
「お兄ちゃん、絶望だけじゃなかったよ」と言える
それでも人ってこんなにやさしくなれるんだなと感じた。
H.O.
春休み行きたいと思いながら、できなかった
今回あるよと聞いて来れたのはすごくよかった
閖上も見て、自分がいる場所で起こったんだと
こどもたちが見たことを伝えて
東京の人たちは原発原発、津波を忘れかけている、伝えていかなければいけない
町会長さん白菜送ってくれるとか
関係がどこまでつづくのかわからないが、つながりができたこと、僕にとっては感謝。
A.O.
東京では経験したことのない揺れ
3月11日から何もできなくて募金とお祈りだけだったのが気になっていた
今回来ることができた
思っている以上にここの人たちは強いな
あたたかくにこにこ
パールバックの大地を読んで
教会の修養会に行ったことがなく、黒木先生から十字架に向かう道は生々しいものなんだよと言われるが
今回、同じものを食べて、寝て、愛の家族だなと感じた。
葛飾教会とは目と鼻の先、こういう人たちがいたんだ!
元先生と逆ですが、なんとかなると感じた。
みんなの力とボランティアの力
原発、日本の大切な土地を力を・・・
K.I.
今回参加した動機が非常に不純
希望の時に休みが取れず・・・
参加してみて、会った人たちと話していくとみなさん家族を大切にしているなと
いつも住んでいない子どもがバリアフリーにしたらいいよとか
震災の後40km歩いてかえってきてくれた息子とか
豚が死んでいたのを孫もいっしょにみんなで引っ張ったんだよとかうれしそうに話してくれるおばあちゃん
妻は工夫してくれているんだと、妻にごめんなさい、ありがとうと言いたい、懺悔みたいになってしまいました!
吉田由架子
教会で休みをいただいて、姉の所(塩釜)に泊まっている。
最高の夏休み
家でひとりでゴロゴロしていたらこんなことはなかった
教会からA.O.さんが来てくれた
青年たちに声をかけたが、実際にいっしょに来ることができた、うれしいかった。
夏期学校でうちわをつくった。間に合うかどうか?A.O.さんにもってきてもらった。
いっしょにこどもたちとつくったうちわを自分の手で渡すことができた。
葛飾教会もうちわを。その中に何だか分からない、これはくばっていいんでしょうか?というのがあった
岡崎さんのおくさんがこれってカエルでしょう!わたしの価値観、反省・・・
「千葉ロッテがんばろう!」といううちわにも、おじいさんがニヤッと笑ってくれた。
3つめ岡崎さん、岡崎さんのお家を散布させていただいた。ゆったりとした中でお話をしている中で癒されているんだなと感じた。
これができたできなかったと悩んでいる。
岡崎さんの奥様が縁側にお茶を用意して漬け物を用意して、これ食べていきなよということをやっていた
世話をしてやるから来てくださいねと言ってくださった。
岡崎さんが作る野菜を注文してあげたらいいんじゃないかなと思った
若いメンバーに励まされた。散布がうまくできなかったが、若い男の子たちがパッパとやってくれた
平島望
今回初めてずっとみなさんといっしょに活動できた。よかった。
10数年前に向島にいたときに時々あっていた葛飾の人たちに会えた
自分は別の所から来てのボランティアではない。
3月11日塩釜の津波の地域に3時間遅かったらいた。自分はどっちなのかなと思わされる。
みなさんよく来てくださいましたといいながら、被災者ともいっしょではない
東北の人たちは初めての人ににこにこしたりしない。
外の人たちに警戒心が強い
心を開いてくださっている、たくさんの人が入っていく中で、痛みを共有してくれていることを理解してくれた。
3月の終わりだったなら、こうではなかったと思う。
町会長さんも不審そうだった。何回も通っていく中で受け入れてくださった。
白菜をくださると聞きながら、韓国から何人か読んでキムチ講習会をできないかななどと思った。
東北に外から来て10年、近所の人たちと「こんにちは」なかなかできなかった。
地震が起こってから変わった。
「水来たよ~」と教えに来てくれるようになった。ふつうに話ができるようになった。
もっともっと人と話をする、そうやっていっしょに生きていく
この地震がなかったら岡崎さんと会うこともなかった。みなさんがここに来ることもなかった。
ここに導かれてきた
ほんとに不思議な出会い
ここでできた絆がもっと続くことができたら。
どの程度までつづくか今はわからないが、機会があったらぜひ東北の地来てください。
日曜日の朝にきてくれてもいいし、土曜日に来て教会の掃除をしてくれてもいいし
今回、新しい出会いがたくさん与えられている。
またみなさんともお会いできたら。
岡摂也
今回MSR+4回目
今回ほんとに楽しかった。若い人がいっぱい来て笑い声がたえなかった。感謝をしている。
こういうことがあったからこそこういうゆたかな出会いが与えられた。
3泊4日ゆっくり交わり出会いが与えられて感謝。
地域の人との会話ができることは東北の牧師として感謝。
あんなに心を開いてくれていろいろ話をしてくれる、神さまがその間たしかに生きて働かれている。
そして楽しくボランティアができるようにしてくださった。
また来てください。
エレミヤ書29:11、12
3月11日のことも神さまのみ手の中で行われたこと
ローマ法王に1人の少女が手紙を送った
返事には「わたしにもわかりません。でも神さまの愛はとこしえに変わることはありません」と書いてあった
東北の人が5ヶ月経って人が変えられることを見てきた。
そういう人たちを助けよう、ボランティアができる
東北のために祈りが積まれている、世界中の人が・・・
そういう祈りのなかで・・・
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